こんにちは、ヒラパパです。
村上春樹の「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」という旅行記を読みました。
著者がスコットランド・アイラ島の蒸溜所(ボウモアとラフロイグ)を見学したり、アイルランドのバーでアイリッシュウイスキーを堪能したりとウイスキーを心ゆくまで飲むことがテーマの旅行記です。
ボウモア蒸溜所のマネージャに教えてもらったという、生牡蠣にアイラ・ウイスキーをかけて食べるというのは、私も生きている内に是非試してみたいです。
牡蠣の潮臭さと、ウイスキーのスモーキーな香りがとろりと和合するという。。。
さて、これだけ言うと、呑兵衛のグルメ本になってしまいますが、旅の本質というものが語られています。
あとがきにもありますが、著者いわく、
「うまい酒は旅をしない」という言葉にある通り、どんな酒であっても産地で飲むのが一番おいしい。
①輸送や気候の変化によって実際に味が変わってしまうということ、
②その酒が日常的に飲まれている環境が失われることによって、
そこにあるアロマが微妙に、心理的に変質してしまうのではないだろうか、
と言います。
そんな著者がスコットランドから遠く離れた東京のバーでシングルモルトを飲みながら想うのは、
当地のこんな風景だそうです。
“アイラ島の海からの強い風が草をなでつけながら、なだらかな丘を駆け上がっていく。
鮮やかな色合いの家々の屋根に、一羽ずつ白いかもめが止まっている“
そのような風景と結びつくことによって、目の前の酒がもちまえのアロマをいきいきと取り戻していく。
旅行というのはいいものだなと、そういうときにあらためて思う。
人の心の中にしか残らないもの、だからこそ何より貴重なものを旅は僕らに与えてくれる。
その時には気づかなくてもあとでそれと知ることになるものを。
話は変わりますが、このあとがきを読んだときに思い出したのは、
ビル・パーキンス著「DIE WITH ZERO」に書かれていた思い出の複利効果の話です。
現代社会は、勤勉に働き、喜びを大切にすることを先送りして、老後のために貯金する生き方、「アリとキリギリス」でいうアリ的な生き方が持ち上げられすぎていることを疑問視し、
アリとキリギリスの中間にある最適なバランスを見つけることを勧めている本です。
この本の中で、印象に残ったのは、
株式や債券と同じように思い出も配当を与えてくれる投資対象になるという考え方です。
楽しかった旅行の記憶を友人に話したり、自分1人で回想したり、一緒に旅した人との思い出話に耽ったりと。
元の経験に比べれば記憶から得られる喜びはわずかかもしれないけれど、このように副次的に生まれる経験を記憶の配当と呼んでいます。
そして、著者曰く”もちろん、老後の備えは必要だ。だが、老後で何より価値が高まるのは思い出だ“とのことです。
正直この一節を読んだ時はなるほどなと思ったものの、今思えばそこまで強い実感を伴って理解できていなかったような気がします。
しかし、村上春樹が東京のバーでスコッチ・ウイスキーを飲んでも、スコットランドの風景やそこで出会った人との記憶が結びつき、目の前の酒をまるで本場で飲むかのように美味しく飲めるという話は、ウイスキーも旅行も大好きな私の心に刺さりました。
そして私自身、広島旅行で食べた広島焼きを思い出しました。
隣に座ったお子さんが三人いる賑やかな家族に、3歳のうちの子はさんざん遊んでもらいとても楽しそうでした。
予定していた新幹線に乗れず到着が夜遅くなってしまった残念な気持ちを吹き飛ばす、
素晴らしい出会いでした。
また今度どこかで、広島ではないかもしれませんが、広島焼きを食べる度ににあの時の楽しい思い出が蘇るのだろうなと。
長期投資を前提に米株インデックスをコアにした投資をすることで、老後の生活に備えながらも、旅行や、週末のお出掛けなど家族と過ごす時間や、最近は少なくなってしまった友人や同僚との飲み会などの人との繋がりを大事にして、思い出の複利効果を雪だるま式に増やしながら人生を豊かにしていきたいなと思いました。
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